琴川橋
山口県宇部市の厚東川に架かっている橋。
琴川橋 ことがわはし
sta_vanillaさんが記事にて画像を公開していて、2009年4月に撮影されたこちらの写真がとても貴重な写真です。
写真を撮影されていた方がいてよかったです。
http://blogs.yahoo.co.jp/sta_vanilla/60968234.html
http://web.archive.org/web/20160730095507/http://blogs.yahoo.co.jp/sta_vanilla/60968234.html
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3f-c0/sta_vanilla/folder/1501649/34/60968234/img_9?1240354201
木屋の渡し場跡
橋が出来るまで、厚東川に渡し舟が通っていた。
渡し舟は沖の旦の渡し、松崎の渡し、木屋の渡し、中の渡し(今の厚東川橋下流辺り)と居能の渡しがあった。
明治11年に琴川橋ができたが、架橋組合が作ったため有料で、大人が八厘、子どもは五厘、自転車一銭五厘、馬車三銭であった。
渡し舟の代金は五厘であったため、「五厘渡しの八厘木橋」と人々は言っていた。
琴川橋の有料は大正■年まで続いたそうである。
『宇部市ふるさと歴史散歩』
黒木甫著抜粋
現在は読めなくなってしまっています。下の動画をご覧ください。
周辺を探索してみたのでご覧ください。
後日もう一度撮影する予定です。
(2016年の画像追加予定)
宇部マニアックスさんのページではとても詳しく紹介されていますので、ぜひご覧ください。
http://ubemaniacs.main.jp/bridge/kotogawa.htm
sta_vanillaさんの記事を勝手に紹介します。
http://blogs.yahoo.co.jp/sta_vanilla/60968234.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sta_vanilla/60986457.html
ページが削除された場合はこちら
http://web.archive.org/web/20160730095507/http://blogs.yahoo.co.jp/sta_vanilla/60968234.html
http://web.archive.org/web/20160730100711/http://blogs.yahoo.co.jp/sta_vanilla/60986457.html
以前からあるものより機能的に優れているものが現れ、古いものが廃されてしまうことは構造物の世界では一般的です。遺しておくことで美観を損ねたり、興味半分で侵入して怪我人を出すことが懸念される場合は特にそうです。
市内を流れる厚東川で新橋が計画されているため廃されそうな橋があります。先日近くを通りがかったので、きちんと取材してきました。
名前は琴川橋です。
Yahoo!地図で位置を確認しておきます。
琴川橋は、一般車両や人が自由に通行できる橋のうち河口から数えて2番目に当たります。1番目は国道 190 号に架かる厚東川大橋です。沖合にある興産大橋は許可車両しか走れず、水管橋や鉄道橋は当然自由には渡れません。
厚東川大橋も隣接して古い橋があり、廃された後も永く架かっていたのですが、数年前から撤去工事が進んでいます。私の記憶には馴染んでいますがあいにく詳細な取材をし損ねました。これと同じ運命が琴川橋にも待ち受けているはずです。
市街地より東を向いて撮影しています。
最初この橋に接したときの第一印象は
…って感じでしょうか。
橋脚から道幅から欄干の高さまで、すべてが現在普通に見られる橋よりもミニサイズなのです。
特に橋全体の高さは、この周辺にある橋のどれよりも低いはずです。
舗装はされていますが、慣れない人は軽自動車での離合も顔をしかめる程度の幅です。
普通乗用車同士でも離合はできるものの、ほんとうにギリギリなくらいの余裕しかありません。
欄干の外側には鋼管が渡されています。最初見たとき、解体するための仮設足場かと思いましたが、どうやらあまりに欄干が低くて危険なので継ぎ足したようです。確かに元の欄干では、じでんしゃでぶつかってバランスを崩せば、季節を問わず簡単にダイビング可能です(怖)
この橋が解体されるかも知れないという根拠は、橋の上流にその理由を求めることができます。
既に橋脚まで出来上がっており、橋前後の取り付け道も一部着手されています。架橋に至るまでは恐らく予算待ち状態でしょうか。
更に上流に見える鉄道橋は、宇部線の厚東川橋梁です。
鉄分(?)を求める方のために、わざわざ鉄道橋のたもとまで足を運んで銘板を撮影しておきました。
さて、琴川橋は未だ現役ですからもちろん名称などを記した銘板が取り付けてあります。
昭和36年3月の竣工です。他方、鉄道橋は同年12月に着工し翌年の10月に竣工していますから、道路橋の方が先に架かっていたことになります。
卓越した技術を駆使できる現在ならいざ知らず、昔は橋にしろ隧道にしろなるべく延長が短くなるようなルートが工夫されてきました。橋の場合、その近辺でなるべく川幅が短い箇所を選ぶのは自然なことです。
先の地図に戻ると、地形的には鉄道が川を渡る付近で最も川幅が狭くなっています。ここに人が渡る橋が架かっていそうなものですが、実際には鉄道が陣取っています。
川幅の狭いその近辺は意外に狭隘で平地が少なく、急カーブが無理な鉄道の制約上、最短距離とは行かずに川を斜めに横断する線形になっています。(地名の「岩鼻」が周辺の地形を物語っている)
他方、琴川橋はその下流で川に対し直角に横断しています。ここが選ばれたのは、岩鼻集落に近くかねてから人の往来が形成されていたからのようです。
橋の対岸は小さな憩いの場が設けられており、琴川橋自体は明治時代から既に存在し、更にその以前にはここから渡し船が出ていました。
渡し船の時代まで遡っちゃうと記事の標題からかけ離れてしまうので、それはまたの話として取りあえず琴川橋の取材に戻るということで、ちょっと危ない撮影を敢行します。
琴川橋【下】へ続く
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琴川橋【上】の続き
道路目線の映像なら、橋を渡りながらいつでも撮影できます。しかし橋を下から見上げる映像は河床に降りなければ撮れません。琴川橋のように河口に近い橋は潮の干満の影響も受けます。
幸い私が訪れたときは干潮でした。しかも元より厚東川のこの近辺はゆるくカーブしているので、内側は常時砂州になっていて容易に立ち入れます。
橋のたもとにこんなものがあります。
欄干にしては無駄にコンクリート部が巨大だし、鋼鉄の枠が取り付けられています。これは何でしょうか。
正解は洪水高潮対策用ゲートです。橋の入口そのものがゲートになっているのです。
橋の低さが災いしてこの橋の路面部分で両側の堤防が切れ、堤防の天端より数十センチくらい低くなっています。台風と満潮が重なった時などで河川が氾濫したときにはゲートを閉鎖し、集落が水浸しにならないよう防いでいるようです。
ゲートが閉められれば通行できなくなりますが、閉鎖された状態を見たことがありません。
さて、このゲート脇にじでんしゃを留め置いて河川に降りてみました。
今写っている右側の階段を降りてきたところです。
橋の裏側は太いコンクリート製の梁を並べた構造になっています。壁面は人目に付きにくいためかマーキングのキャンバス代わりにされてしまっています。
橋脚は4本の柱を直接河床へ打ち込む型式になっています。
面白いことにこの形式は川の中程で5本形式に代わり、更にまた別の構造に変わっています。
その写真を撮るために、潮の引いた河川の中程に向かって歩き始めました。
厚東川は上流に厚東川ダムを擁し、工業用水や飲料水などの取水を行うなど管理されているせいか、普段は河川の環境が保たれる程度しか水が流れていません。河口近くになると、砂州は流水よりもむしろ潮の満ち引きに影響されます。めったに水が来ない部分はしっかりした砂地になっていますが、干潮のときだけ顔を出す部分は、かなり足元に不安を覚えます。
スニーカーで来ているので、当然水際を避けて接近しました。それでも場所によっては不用意に踏み込めばカカト辺りまでハマるところがあり、慎重な進行を求められました。
中程に近づくと橋脚の下が現れて橋台が露出している場所があります。
洗堀防止のためのブロックが敷かれています。
歩いて近づける限界にまで到達しました。
この辺りでは橋台全体が現場打ちコンクリートで補強されています。それでも橋台から下まで洗われており、強度的に持つのだろうかと心配になります。
そこから先、常に流水で晒されている部分では複数柱型式から一体型の橋脚に変更されています。流水圧に耐えられるように補強されたものと見て間違いなさそうです。
道路部分に目を遣ると、この区間だけ防護柵が外側へ張り出しています。後で分かるように、この部分に行き違い用の幅広スペースがあり、橋脚も4柱から5柱になっています。
最後に、動画で橋の周辺をパノラマ撮影してみました。
ついでに振り返って河口側、国道 190 号の厚東川大橋も撮影しました。
広々とした場所なので、琴川橋を渡る人々からは晒し者状態です。ヘタに歩き回ってハマると笑いものなので、引き返すことにしました。(途中でどの方向へ歩いてもハマる場所に入り込んでしまいかなり焦った)
再びじでんしゃにまたがり、橋を渡ります。
橋の中央部です。
少し幅が広くなっている区間があり、専ら車の離合に使われています。
如何にも閑散としているように思われますが、実は車の切れ目を狙って安全に撮影できるタイミングを見計らうのにかなり苦労しました。
全体的に見れば、琴川橋は現在の橋の安全基準に照らして如何にも規格外です。そのために新しい橋の架け替えが予定されているのですが、実際それに見合うほど今もこの橋の交通量は相当にあります。
かく言う私もバドミントンのホームアリーナでもあるパルセンターで一汗流したあと、厚南で買い物するときは常にこの橋を渡ります。国道 190 号を走るよりも近いし、渋滞しないからです。上下流とも数百メートル内には橋がないので、極めて利用価値の高い経路です。
狭い道ではどこも同様ですが、琴川橋を渡るのにも暗黙のルールめいたものがあるようです。基本は
です。
元より見通しは利くので、対向車が橋を渡り始めたら進入せずに橋の手前で待ちます。しかし対向車が橋に入ったばかりだったり、自分の後ろに何台か後続が居る場合は、中央ですれ違うことを見越してサッと進入することもあります。どちらが先に中央入り(?)するかは車の大きさや数に依るので、さながら陣取り合戦です。
中央の幅広区間は、精々車が3~4台入る程度です。先に陣取った車が幅広区間の出口付近で徐行し、対向車をやり過ごします。この区間なら一旦停止せずとも安心して離合できます。
タイミングが合わず、不幸にして幅広区間以外ですれ違うことになってしまったら、とにかく徐行です。対向車も自分も目一杯端に寄らなければ安全に離合できないので、双方のスキルが問われます。物理的には排気量の大きい普通車同士でも問題なく離合できるはずです。対向車が停まってくれたからと言って減速せず走り抜けるのはマナー違反。
不慣れなドライバーが迷い込み、プチ渋滞を起こしている例も結構見られます。対向車をやり過ごすことができず、しかも後続車が溜まってきたらパニックになるでしょう。運転歴に関係なく、狭い道が苦手な人は車で渡らない方が良い橋とも言えます。
もっともあと何年先か分かりませんが、新・琴川橋が完成したらこうした離合劇も過去の話になってしまいます。可能なら旧橋を自転車・歩行者用に遺しておくのが良いとは思いますが、保安上の問題があるだけに解体される運命かも知れません。
完
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